BLACK FLAG / MY WAR (1984)

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BLACK FLAG アルバムリスト

BLACK FLAG
(1976-1986,2003,
2013-2014,2019-)

ブラックフラッグ

Hardcore, Punk,

MY WAR (1984.3月)

  1. My War 3:52
  2. Can’t Decide 5:27
  3. Beat My Head Against The Wall 2:34
  4. I Love You 3:23
  5. Forever Time 2:25
  6. The Swinging Man 2:55
  7. Nothing Left Inside 6:39
  8. Three Nights 5:51
  9. Scream 6:54

2nd
SST Records

歴史に一石を投じ
深い爪痕を残した1枚

Henry Rollins(Vo:S.O.A.,Rollins band)
Greg Ginn(G)
Dale Nixon[Greg Ginn](B)
Bill Stevenson(Dr)

1982年2月に
バンドの法廷闘争にうんざりしていた
Chuck Biscuits(Dr)が脱退

Bill Stevenson(Dr:Descendents,All)加入

長い法廷闘争が終わり
やっとブラックフラッグ名義で
アルバムを出せる状況になったバンドは
多様なスタイルの新しいサウンドの曲を
作り始めた

その音の傾向は
[THE COMPLETE 1982 DEMOS]
すでに存在していたが
それを更に推し進める形になった
それも3人編成のバンド形態で

1983年
Dez Cadena(G:Misfits,Redd Kross)は
D.C.3を結成する為に脱退

Greg Ginn(G)は
すでにこのアルバムで聴ける新しいスタイルを
目指しておりChuck Dukowski(B)のプレイに
不満を持っていた為
1983年のヨーロッパツアー中にドイツで
解雇を言い渡した

早くからヘンリー・ロリンズ
ボーカリストとしての素質を認め
内気な性格のヘンリー・ロリンズ
詩を書くように勧め
バンドに多大なる貢献をし
影響を与えたChuck Dukowskiが去った
(脱退後もSSTレコードの共同経営は続けた)

バンドは3人編成で
このアルバムのレコーディングに入る
Dale Nixon(B)とはグレッグ・ギンの別名
そのDale Nixonのベースは
完全に一歩後ろに下がったプレイ
限りなく無表情

グレッグ・ギン
常にオリジナリティを求め
新しい音を創造し
他のバンドとサウンドが被ることを
極端に嫌う男
「昔々、何か新しいことをやろうという
希望とエネルギーがあったバンドが、
今は基本的に過去を再現しようとしている。
コップに小銭を入れれば、
11歳の時に作った曲をもう一度歌ってくれる。」
グレッグ・ギン 2009年のインタビュー

このアルバムのLPは
確信犯的にA面とB面でその音のスタイルを分けてある

A面はハードコアパンクのサウンドを展開
と言ってもメタルとジャズを飲み込み
ギターソロが多く
だいぶ音楽要素の幅を広げている

そしてB面
ここで
ハードコアのパイオニアだったブラックフラッグ
Black Sabbath由来の重い音を
遅いテンポ
複雑な曲構成
不協和音を伴う前衛的なギターソロを用いて
これまでと全く違う方向へ動いた

ハードコアパンクの文脈で語られるバンドでは
ありえないレベルで
圧倒的にギターオリエンテッド

B面の3曲はどれも6分を超える尺

パンクとメタルが水と油だった時代
このB面はパンクスから拷問であるとさえ言われた

BLACK SABBATHからの影響に加え
AC/DC
CAPTAIN BEYOND
ZZ Top
この辺のハードロックの影響もある

パンクからの乖離はそのサウンドにとどまらず
パンクスは短髪という概念的な物の逆を行き
あえて髪を伸ばした

問題作とされたのもしょうがない
自分がこの当時リアルタイムで
この音を聴いたパンクキッズだったとしたら
そりゃそうなるだろうと思う
3年ぶりのアルバムが
時代の先の先を行ってるんだもの

しかし
このサウンドに”気づく”者もいた
Melvins,Mudhoney,Nirvanafatso jetson
CORROSION OF CONFORMITY …….

カート・コバーンが16歳の時に
Melvinsバズ・オズボーンに連れられて見た
BLACK FLAGのライブは
このMY WARのツアーだった

Mudhoneyマーク・アーム
ライブで[7.Nothing Left Inside]を見て感動し
ブラックフラッグの変化の源流であるBlack Sabbathの音を
追求し始める

ブラックサバスをルーツとし
グレッグ・ギンと共鳴したDave Chandler率いる
Saint Vitusは同1984年に
SST Recordsから1st[Saint Vitus(1984)]
をリリースする

コロンビア出身でDCハードコアシーンで
活動していたVoid
1983年に録音され
リリースされることのなかったアルバム
[Potion For Bad Dreams]
バンド名がブラックサバス
“Into the Void”
[Master of Reality(1971)]収録
から来ている事もあるが
そもそもクロスオーバーぎみのサウンドを
天然気質で出していた

ブラックフラッグ[MY WAR(1984)]
シンクロニシティーのように
サバスへ急接近し
さらにメタル/ハードロック寄りの
スタイルへ変わっていた
Voidはこれを録音した後すぐに解散
それは当時メンバーが
高校を卒業するかどうか位の年齢の
若者だった事もあり
やろうとしているサウンドに
スキルが追いついていないバンドの
限界を見たのだろう

Voidはこの[Potion For Bad Dreams]
失敗作としてリリースしないことにした
だが、それが奇妙な他にない空気を作り出している為
海賊盤のカセットテープが広く出回った
MelvinsWhite Zombieはこれを聴いて
Voidが独自のスタイルを作り上げた作品だと
評価している

アルバムで演奏はしていないが
そもそもブラックフラッグのファンで
[My WAR]のツアーから加入した
ベースのキラ・ロエスラー
当時を振り返るインタビューでこう語った

「人々はパンクロックはこうあるべきという
考えを持っていて
[MY WAR]のB面はそれに当てはまらなかった。
要するに、速くない。遅くて苦痛だった。

ブラックフラッグ
パンクロックの本質である
“型にはまらないこと”を追求し、
“型にはめる”ことをやめた。
それがグレッグと、彼の後ろにいる私たち全員が
常に信じていたことの一部だから。
私たちは、
彼らが望むようなことをするつもりはない。

私たちは成長し続け、変化し続け、
もしかしたら何人かのファンを
失うことになるかもしれない。

もし、彼らが私たちに永遠に[Damaged]
演奏し続けさせたいのなら、
それはあり得ないこと。

特に差し止め命令の後は、
長い間レコードを出すことができなかった。
私たちにはこれだけの素材があるんだ。
新しいものをやりたかったんだ。
グレッグは古いものをやるのにうんざりしていた。
彼は新しいものを表現したかったし、
[MY WAR]のB面もその一環だった。

それが嫌なら、あなたはもう
ブラックフラッグ
好きじゃないんだよという感じだった。

私たちはそれでいい、
だってこれが私たちのやりたいことなんだから。
あの手の音楽をやるには、
それが誰かの考えに沿わないものであっても
気にすることはない。

Xが15年前と同じ曲を演奏しているのを
聴きに行きたいと思うか?
いや、むしろ彼らが何か新しく、
面白く、異なることをするのを見たい。
それが私の考えです。
他の人は、彼らが古いものを蒸し返すのを
見たいかもしれない。
好きな方を選んでください。」

この[MY WAR]
グランジとスラッジの種が蒔かれた

このアルバムが
[THE COMPLETE 1982 DEMOS]のように
ツインギターで
キラ・ロエスラーを加えた5人編成バンドで
作られていたとしたら…
というタラレバが頭をよぎるが

A面でブン殴られて
B面で溺れさせられる
超名盤


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